病院・診療所の労務問題(従業員対策)2
Q.私は東京都内で診療所を二院開設している医療法人の理事です。理事長は私の夫で、私は常務理事という形で業務を行っています。少し話が長くなりますが相談をさせていただきます。
2年ほど前にそれまで勤めてくれた女性事務員が結婚・夫の転勤ということで急遽退社することになったため、ハローワークを通じてAさんを雇用しました。雇用の条件は試用期間は6ヶ月として、その後、正式採用となったら正社員ということにしました。
Aさんは気が強いところがあり周囲とあまりなじめていない様子は見受けられましたが、私としては許容範囲のうちだと思っていました。
しかし、今から1年位前、Aさんと同じXクリニックに勤めているBさんから相談を受けました。
Bさんによると、Aさんが「夫が毎日午後8時頃に最寄り駅に着くのでそれまではクリニックに残っていて、一緒に車で家に帰るようにしている。残業代も付くから得」というようなことを事務員の間で公言していてとても不愉快だ、とのことでした。
たしかに、Aさんの退勤時間は本来であれば午後5時30分なのですが、Aさんのタイムカードを見ると勤務開始から6ヶ月を経過したころから妙に残業が多くなり、毎日のように残業手当をもらっていることがわかりました。
Xクリニックでは事務員の残業はほとんど無く、実際にAさん以外の事務員でそのような残業をしている人はいません。
私が、Aさんを呼んでこのことについて尋ねると、「何故そんなことを聞かれなきゃいけないんですか?」とか「仕事が忙しいのが悪い」というような回答が返ってくるだけでした。そのため、私の方からは「防犯上の問題もありますので終業時間が来たら速やかに帰宅してください。実際に残業していないのであれば今後は残業代は払えません」という話をしました。
その後も、1年ほどAさんは午後8時前あたりにタイムカードを押していました。私も問題があるとは思っていましたが特に指摘はしませんでした。残業代はさきほどの話をAさんとした時点から支払っていませんでした。
今から1ヶ月前ですが急にAさんが「辞めたい」という話をしてきました。Aさんに関してはいままで述べてきたような経緯がありましたので、医療法人としても引き留めるようなことはしませんでした。
昨日のことですが、Xクリニックに裁判所より労働審判申立書という書類が送られて参りました。私が内容を見た限り、未払いになっている時間外手当(残業手当)を支払えという内容のものです。医療法人としては、この経緯を知っている従業員への説明がつかないということもありこのような請求には応じられないと考えています。労働審判とはどのように進むものなのでしょうか? そして、今後どのように対応すればよいのでしょうか。
労働審判とはどういうものですか?
労働審判というのは、裁判より速く判断がなされる労働関係事件に限定された裁判所の紛争解決システムです。
首相官邸のホームページで公開されている労働審判制度の概要という図がわかりやすいので引用いたします。
出典:首相官邸ホームページ(http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ sihou/hourei/roudousinpan_s-1.pdf)
このように裁判所で3回以内の話し合いが行われ、話がまとまったときは調停が、まとまらなかったときには労働審判として裁判所の判断がなされるというものです。
ただ、実際に労働審判を担当していて感じるのは、労働審判においては第1回で大体の方向性が出来てしまうということです。たいていの場合、第1回目の期日(裁判所に行く日のことをいいます)において裁判所は大体の心証を得てしまい、和解の話がなされるところまでいきます。
そのため、労働審判の申立書が来たら速やかに第1回目の期日に備えて、答弁書という反論の書類を作成しなければなりません。
今回の件でいえば、Aさんのタイムカードが午後8時前ころに押されていても、それは残業していたわけではないということを裁判所に理解してもらう必要があります。Aさんに対して業務命令書のような形で「居残りをせず終業時間が来たら帰宅すること」というような指示書を残しているのであればその写しを、業務日誌等にAさんとのやりとりをした記録が残っているのであればその写しを準備したり、Bさんや他の従業員の協力を得られるのであればAさんから聞いた話を陳述書という形でまとめたりします。
このような作業をする必要があるため、準備にもそれなりの時間がかかります。弁護士に依頼する際にも第一回期日直前ではなく、なるべく早めに相談して依頼をした方が質のよい反論ができるでしょう。
なお、答弁書の提出は第1回期日の一週間から10日前に定められることが多いでしょう。第1回期日と答弁書の提出期限については、労働審判申立書に同封されている「労働審判手続期日呼出状及び答弁書催告状」という書類に書かれています。
労働審判の期日ではどういうことをするのですか?
まず、医療法人の理事であり、今回のAさんの件について詳しい事情を知っているあなたは、労働審判の第1回期日に弁護士とともに出席した方がよいでしょう。裁判官あるいは労働審判官に実際にAさんとどういうやりとりがあったのか具体的な内容を教えて欲しいと聞かれることがあるかもしれません。労働審判では「実際にどういうことがあったのか?」ということを裁判所から口頭で聞かれることが多いのです。私の場合には、それに即時に答えてもらうことが出来るように医療法人の人事担当者等にはよほどのことが無い限り同席してもらうことにしています。もちろん、Aさんも弁護士とともに出席して来るでしょう。
最初はAさん側、医療法人側の両方が部屋に入って裁判官らと話をします。その後、Aさん側、医療法人側で分かれて交代で部屋に入って裁判官らと話をすることが多いでしょう。場合によってはそれらの話し合いが終わった後に裁判官らから和解の話がなされるのではないかと思います。
今の時点では、医療法人としては和解の意向はないとのことですが、個人的にはある程度は事前に検討しておいた方がよいとは思います。たとえば、数万円の支払いで和解ができる、というようなことであれば和解を受けてしまうのも一つの手といえるためです。労働審判・裁判に費やす時間や労力も医療法人にとってはコストであることも否定しがたく、ある程度の出費で早めに切り上げるということも選択肢としてはありえるからです。
ただし、一方で、現在勤めている事務員・看護師などの従業員への説明の関係上、容易に和解するわけにはいかないという事情もよく理解できます。
医療法人において許容できるラインがあるのかないのか、あるとすればどの程度なのかということは弁護士と相談して考えておいた方がよいと思います。
Aさんの要求が高すぎて折れない場合や、裁判所の和解案が医療法人として許容できない場合には、労働審判・裁判を続けていくことになります。